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ーーその光景は、まるで一幅の絵画を見るようであった。
 鮮やかな赤いドレス姿のメリル婦人と、それを取り囲む漆黒の翼をもつカラスたちの群れ。部屋の中央のベッドに横たわる老人の傍らには青ざめた顔の美少年が跪き、顔を歪め生気を失いつつある老人の枕元には、鳥かごに入った清らかな白い花が命の灯火のように置かれている。

 メリル婦人は手を合わせ、祈るような様子で頭をうなだれていたが、ふと顔を上げドアの向こうに佇み見守る人々に呼びかけた。
「皆さん!どうかこの老人のために祈って下さい。そして、傷は癒える!と心から信じて下さい。そうすればきっと、奇跡が起こります!」
 メリル婦人の呼びかけに、その場に居合わせた者はみな思い思いに手を合せ、老人のために祈った。
 そしてしばらくの沈黙の後、突然、使用人の一人が声を上げた。
「名もなき花が開くわ!」
 いっせいに人々の視線が名もなき花に注がれる。
 はたして、それまで花弁を固く閉ざしていた名もなき花のつぼみは、いまやゆっくりとほころび始めようとしていた。それとともに、かすかに芳しい香りが部屋にたちこめ、人々はその甘い香りにすっかり魅了されていった。皆ひとしく心をときほぐされ、穏やかで希望に満ち溢れた感情が内に湧きあがるのを感じた。
「クリス!クリス!」
 メリル婦人は、何度も繰り返し老人に呼びかけた。たちこめる名もなき花の香りが一段と強くなっていく。それまでずっとクリス老人の手を握りしめていたデービッドが、思わず叫んだ。
「今、クリスが僕の手を握り返したよ!」
 その瞬間、メリル婦人は美しい花を咲かせたばかりの名もなき花の一輪を手折り、それをクリス老人の額の上において叫んだ。
「名もなき花の命の源よ。この老人に命を授けよ!」
 メリル婦人の頬に涙が光った。
 それは愛する花の命を自ら摘み取ったことへの悲しみであったのかーー、チャールズはメリル婦人の悲痛な表情を見て、胸がしめつけられる思いがした。
 クリス老人の容体はみるみる回復の兆しを示しはじめた。頬には血色がもどり、苦痛の表情は穏やかさを取り戻し、まるでただ眠っているだけのようにさえ見受けられる。やがて老人は元気そうな様子で目を覚まし、傍らのデービッドに向かい笑みを浮かべて話しかけた。
「デービッド様……」
 この様子を見ていた人々の間から、どよめきが起こった。 
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 メリル婦人に名をつけられたカラスーーランディが、街外れの古びた馬車小屋跡の屋根の上にとまり、ファンタジガーデンからの待ち人を見逃すまいと緑の牧場の見張りに立ってから、はや1時間が経っていた。
 彼はふと丘の向こうに、小さな黒い影がゆらめき動くのを見つけ、興奮のあまり翼をばたつかせ前方に身をのりだした。目を凝らして見つめていると、影は土煙をあげながら街道沿いに徐々にこちらに近づいて来るのが分かったが、しばらくすると、それがこちらへと向かって疾駆してくる1台の馬車であることがランディにも見てとれた。
(メリルさんだ!!)、
 待ちかねた人の訪れに、ランディの胸が高鳴る。彼は喜びいさんで空へと舞いあがると、馬車の方へと矢のような勢いで飛んで行った。やがて眼下に馬車を見下ろせる距離まで近づいてみると、4頭の白馬にひかれた馬車の御者台には修道士服姿の男が座り、懸命に手綱をふるって馬を走らせていることが分かった。てっきりメリルさんが御者台にいるとばかり思っていたランディは落胆し、彼女の姿を探して客車のところまで急降下した。するとすれ違いざま、馬車の窓の奥に懐かしいメリル婦人の横顔が一瞬垣間見えたのである。
 ランディは旋回して、もう一度通り過ぎた馬車に近づきながら大声で叫んだ。
「メリルさん!僕です。ランディです」
 だが吹きすさぶ風と車輪の音にかき消され、すぐには彼の声は客車の人物には届かなかった。しかし必死の祈りがつうじたのか、偶然にも外の景色を見ようと窓から首をのぞかせたメリル婦人が、ランディの声と姿に気がついたのである。
「まあ、ランディ!」
 メリルさんは驚いた顔で、馬車のすぐ上空を飛びながらついてくる一羽のカラスを見上げた。
「メリルさん、僕が、マーシャル邸への近道をお教えします!どうか御者の人にそう伝えて下さい」
 ランディがそう叫ぶと、メリル婦人は頷いて御者に向かって大声で話しかけた。
「このカラスが屋敷へと道案内をしてくれるそうです。どうかついて行って下さい!」
 メリルさんの言葉に、御者台の修道士も馬車の上空を飛ぶカラスを一瞥し大声で答えた。
「分かりました!」
 ランディは、馬車がついてきやすいように普段より低めに飛びながら、マーシャル邸へと案内を始めた。刻一刻と時は過ぎ、メリル婦人がファンタジーガーデンを発ってからすでに3時間が経過している。
 彼女は膝に抱えた包みをそっとさすりながら、どうぞ間に合いますようにーーと心のなかで祈った。

「デービッド!わたしだ、チャールズだ。ドアを開けてはくれないか?」
 眠ったまま意識の戻らないクリスを心配そうに見つめていたデービッドは、ドアを叩いて呼びかけるチャールズに気付き、虚ろな声で返事をした。
「……今、鍵を開けます。ただ、入室はしないで下さい。それと大声もたてないで」
 ドアの向こうで、チャールズは承知した!と小声で返事をした。
 デービッドは立ち上がり、ゆっくりとドアのところまで行くと鍵を開けた。音もなくドアが開き、穏やかな表情を浮かべたチャールズが姿を現す。
「ギルバートとも相談したんだが、これからメリル婦人のもとへ使いを送ろうと思っている。彼女なら名もなき花を使って、クリス老人の傷を癒す手助けができるかも知れないからね」
 ところがチャールズの予想に反して、デービッドは苦笑いを浮かべて言った。
「それには及びませんーー」
 チャールズは唖然として、デービッドを見返した。
「何だって!てっきり君は名もなき花の力を信じているとばかり思っていたが」
 チャールズは、メアリーの部屋の前まで来てノックをしようと拳を上げたが、ふいに迷いが生じそのまま腕をおろした。デービッドがカラスの大群を部屋に入れた事実を話すために来たものの、いざとなるとやはり話していいものかどうか躊躇われる。
(それに――)
 と彼は心の中で反芻した。
 チャールズはもう長い間、メアリーと顔を合わせることを避けてきたのである――
 クリス老人が誤って転落した現場に居合わせたメアリーの青ざめた顔を目にし、たまらず駆け寄ったチャールズではあったが、彼は彼女との間にずっと距離をおいてきたのだった。
 彼が、マーシャル邸を訪ねたのは今回が初めてではない。これまでにも幾度となく商談のためにこの屋敷を訪れていた。しかし今日までチャールズは、そのたびにメアリーとは顔を合わせぬようにとの配慮を常に怠らずにきたのである。
 彼は――彼女との面会によって、さる人物の名前が会話にのぼることを極端に恐れていた。
 万が一その話題が出れば、彼は決して冷静ではいられないだろう。のみならず、自分にもメアリーにも少なからぬ苦痛を与える言葉を、発してしまうかも知れない。彼は心の中で、そう危惧していたのであった。
 
 
 チャールズが、最後にメアリーに会ったのは今から十数年前のこと。彼女がまだ15歳の時であった。
 当時チャールズは、大怪我を負い床に伏せているメアリーの兄ベンジャミンを見舞うため、足しげくメアリーの実家であるジョンソン邸に通っていた。
 彼はベンジャミンの怪我が、自分の過失によって引き起こされたものであったと、深い後悔の念を抱いていた。それゆえ彼は、1日もかかさずジョンソン邸の門をくぐっていたのである。チャールズの過失。それは恐ろしい事故の起こった現場にベンジャミンを呼び寄せ、しかも自分自身は、事故の瞬間にはその場にいなかったということである。
 
――それは、9月のある風の強い日のことであった。
 チャールズとベンジャミンは、街外れの草原に建つ古い風車小屋で待ち合わせをしていた。約束の時刻は正午ちょうど。しかしチャールズは出かけ際、父から急ぎの用を頼まれ、約束の時間までに待ち合わせの場所に行くのが難しくなってしまった。そこで彼は、できるだけ用事を早く済ませ、その足でベンジャミンとの約束の場所へととって返すことにした。
 約束の時刻になってもあらわれないチャールズに、時間をもてあましたベンジャミンは、やむなく小屋の中にうず高く積まれていた藁の上に寝そべってひとり横になった。そうして彼を待つつもりであっのたが、前日の夜遅くまで起きて書物を読み耽っていた彼は、つい睡魔に襲われそのまま寝入ってしまったのだった。
 ところが、忌まわしい事件はその時起こったのである。
 何という不運な偶然だろう!風車小屋の持ち主に深い遺恨を持っていたある男が、小屋が無人とばかり思い込み、浅ましくも火を放ったのである。火は強風にあおられて飛び火し、たちまちのうちに小屋をのみこむ炎とともに、どす黒い煙がもうもうと空にたちのぼった。
 用を済ませたチャールズは、御者に命じ出来うる限りの速さで馬車を走らせていたが、街外れまで来て風車小屋の方に目を向けた時、行く手の空に黒々とした煙がたちのぼっているのを見て、いいしれぬ胸騒ぎを覚えた。
 そして――、その胸騒ぎは皮肉にも的中してしまったのである。
 彼は見た。燃え盛る炎に包まれた風車小屋の姿を!
 風上にあたる風車小屋から、風にのって流れてくる鼻をつく煙の臭い。パチパチと音をたてる火花。、むき出しになり焦げ付いた壁や柱が、軋みぶつかりあいながら崩れ落ちていくさま。あたりを走り回る近隣住人の発する悲鳴とも怒号ともつかぬ叫び声。
 それらの光景が、驚愕しているチャールズの頭の中でぐるぐると回りはじめ、彼は恐ろしさのあまり呆然とその場に立ちすくんだ。

 ――幸い、小屋の出入り口近くで倒れていたベンジャミンはいち早く助け出され、命だけは取りとめた。
 しかし煙を吸ったために喉が焼けて口が聞けぬうえ、酷い火傷を全身に負うこととなった。かつては通りがかりの女性たちが、皆振り返る程の美男子であった彼は、この日を境に見る影もない醜い姿へと変貌してしまったのである。


「チャールズ?!」
 ようやく心を決めたチャールズがドアをノックしメアリーの部屋の中へと入って行くと、彼女は意外そうな顔をして言った。
「メアリー。気分はどう?よく眠れたかい?」
 彼女は枕を背もたれがわりにしてベッドの上に腰かけていたが、チャールズの姿を見ると、はおっていたガウンを胸元に引き寄せるようにして顔をあからめた。
「いま、ベンジャミンのことを思い出してたところよ……」
 ベッド脇の小卓に置かれた花瓶に目をやりながら、メアリーは答えた。
「ベンジャミンのことを?」
 チャールズの声が震えた。彼の恐れている人物の名を、メアリーが口にしたからである。しかし、メアリーはそれにはまったく気付いていなかった。
「子供の頃、一緒に魚釣りに行って、私が釣竿を川に流してしまった時のこと覚えてて?」
 メアリーはチャールズの顔を見上げ、優しく微笑んだ。
「ああ、君は泣きべそかいてたね」
 顔をひきつらせながらも、チャールズがぎこちない笑顔を返す。
「チャールズ。お兄様のことで、一つ気になってることがあるんだけど」
 メアリーは気づかうような眼差しを彼に向け、訊ねた。
「もしかして……。あなたベンジャミンが亡くなったことを自分のせいだって思っていやしないでしょうね?」
 チャールズは、言葉を失い身を強張らせた。
「あれは不幸な事故だったのよ。決してあなたのせいなんかじゃない――」
 そう言いかけたメアリーを遮るように、
「君のご両親も、あの時僕にそう言って下さった。だがもし僕が、ベンジャミンとの約束に遅れて来さえしなければ、彼はあんな目に合いはしなかった!」と、チャールズは吐き捨てるようにそう言った。
「――チャールズ。あなたやっぱり……」
 メアリーは胸を押さえて苦痛の表情を浮かべ、チャールズを見つめた。
「事故の後、ベンジャミンは決して僕に会おうとはしてくれなかった……」
「それは兄様なりの思いやりなのよ。あなたと会えば、変わり果てた自分の姿を見て、あなたが自分を責めはしないかって――」
「だがそのせいで、結局、最後まで僕はベンジャミンに会うことすらできなかった――」
 メアリーは、首をうなだれ言いよどんだ。
「それは……」
  二人の脳裏に、あの日誰の目に触れることもなく、棺桶のふたを固く閉ざしたまま埋葬されていったベンジャミンの葬儀の光景がよぎった。
「チャールズ。今もメリル婦人から<名もなき花>を手に入れたいと思っているの?」
 目を伏せたままメアリーはそうつぶやいた。
「あの花はファンタジーガーデンでしか咲かせられないし、花の効力を最大限に引き出せるのもメリル婦人しかいないのよ。外に持ち出したら、病や怪我を癒す力を保てるとは限らない。そんなの意味がないわ」
「意味がない?君の言葉とは思えないな、メアリー?」
 チャールズは、語気を強めてそう言った。
「あの頃は私も若くて、もしかしたら?と思っていたわ。でも……今はメリル婦人が外への持ち出しを拒んだ理由が解る気がするの」
「幼子は、何よりも母親の懐を恋しがるものよ。どんなに不安で、何かしら苦痛さえ感じていたとしても、母親の手に抱かれると不思議に安心して癒されるものなの。私、<名もなき花>にとって、メリル婦人は母のような存在だと思うのよ。だから彼女の手を離れたら、花は枯れてしまうような気がするの……」
 チャールズはメアリーの言葉に顔を曇らせ、無言のまま床に視線を落とした。


                                      image 花瓶の花・白
                                           
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 つがいのカラスが頭を悩ましていると、近くにいた一羽のカラスが、ふいに彼らに声をかけてきた。
「僕が行ってきましょうか?僕はメリルさんに会ったことがありますし、この屋敷への道案内もうまくできると思います」
 イジーは突然話しかけられ、驚いて声をする方を見返した。
 だが、メリルさんと知り合いだというそのカラスの顔に、彼はどうも見覚えがない。
(このカラスはどこでメリルさんに会ったのだろう?ファンタジーガーデンに来たことがあるなら、僕も知っているはずだけど)
 イジーは一人考えをめぐらし、首を傾げた。そんなイジーの様子につがいのカラスも疑問を抱いたらしく、どこでメリルさんに出会ったのか?とそのカラスに尋ねた。すると彼は、屈託のない明るい声でこう答えた。
「僕はひなの頃、ファンタジーガーデンにいた事があるのです。その当時、メリルさんにはとても良くしてもらいました。ですから、いつかメリルさんのお役にたつことをして恩返しをしたいと思っていたのです。是非僕に道案内をさせて下さい!」
 そのカラスはメリルさんに恩義を感じているらしく、たいそう熱心な口調で何度も自分に道案内をさせて欲しいと申し出た。これに気を良くしたつがいのカラスは、彼に行って貰ってはどうだろうか?とイジーにもちかけた。イジーにしても、自分がまだ生まれる以前にこのカラスがファンタジーガーデンにいたのだと分かると、急に親近感がわくのを覚えていたし、彼がメリルさんに好意を持っているのはすぐに見てとれたので、もちろん異論はなかった。
 イジーは、道案内を申し出てきたカラスに近づくと明るく挨拶をした。
「ファンタジーガーデンからやって来たイジーです!」
 ファンタジーガーデンと聞くと、そのカラスも嬉しそうな声で自己紹介を始めた。
「僕はランディ。メリルさんがそう名付けてくれたんですよ」
 得意げにそう話す彼に、イジーは親しげな口調で自分がメリルさんに拾われてファンタジーガーデンの住人になったいきさつなどを語った。そして互いに自己紹介を終わると、早速イジーは本題へと入った。
 クリスさんの事故の知らせを受けたメリルさんは、おそらく4頭立ての馬車に乗り街へとやって来るだろうということ。メリルさんは街へはほとんど来ることがないため、道に迷う恐れがある。そのため街外れで馬車を待っていて欲しいことなどを話した。そしてクリスさんの病状について、なるべく詳しくメリルさんに伝えて欲しいことなどを言い添えた。
「分かりました!任せて下さい。少しでも早くメリルさんをこのお屋敷にお連れするようにします」
 ランディはつがいのカラスたちに軽く会釈すると、窓際でクリス老人を一瞥したのち、力強いはばたきで空へと舞い上がった。
「メリルさんに会ったら、デービッドが僕らと友達になったことも伝えてね!」
 イジーはそう言って、飛び去る彼の姿をいつまでも見送っていた。


 メアリーは、いったんは寝台に横にはなったものの一睡もすることなく夜を明かしていた。
 外が白々としてくる頃になっても、彼女は息子のデービッドにかける言葉が見つからず、ずっと考えあぐねては悲嘆にくれるのだった。
(私が思慮が足りなかったのは事実だわ。ロバートが帰ってきたら、デービッドに彼からよく話してもらいましょう。そうすれば、今は頑なに私に心を閉ざしているあの子も、考えを改めてくれるかもしれないわ)
 一晩中考えがまとまらず、すっかり麻痺してしまった頭でようやく彼女が辿りついた答え。それを呪文のように、彼女は何度も繰り返し自分に言い聞かせるのだった。
 夫ロバートなら、デービッドにうまくとりなしてくれるだろう。そう考えることだけが、今の彼女の唯一の希望となっていた。
(まるで、あの時と同じだわ。お兄様と喧嘩してチャールズに仲直りさせてもらったあの時とーー)
 ふとメアリーの脳裏に、幼い頃の記憶が鮮明に蘇った。
 それはメアリーが10歳の時だった。
 3歳年上の兄ベンジャミンの留守中に、メアリーは兄が大事にしていた釣竿を持ちだして魚釣りに出かけたことがある。この時チャールズも一緒だったが、メアリーは釣竿が兄ベンジャミンのものであることは彼に内緒にして出かけたのだった。
 ところが、早瀬で釣竿を垂らしていたメアリーは、釣り針にかかった魚の思いがけない力にうっかり竿を持ってゆかれ、借り物の釣竿を川に流してしまったのである。
 メアリーは驚き慌てたが、もはや後の祭り。泣きじゃくるメアリーを見て、チャールズも腰まで川につかって手を伸ばし、何とかメアリーの釣竿をつかもうとした。しかし流れが早く、チャールズはすんでのところで釣竿をつかみそこねてしまったのである。
 すっかり沈み込んでいるメアリーを心配して、チャールズは彼女を家まで送って行くことにした。
 すると帰宅していたベンジャミンが、メアリーが釣竿を持ちだしたことを知ると、烈火のごとく怒り出し、そのとき初めて、チャールズも釣竿が実はベンジャミンのものだったと知ったのであった。
 チャールズは釣竿を無断で持ち出したことは確かにメアリーが悪いとは思ったが、仁王立ちしているベンジャミンの前で顔を泣き腫らしているメアリーを見るとさすがに気の毒な気がした。そこで彼は、ベンジャミンにメアリーをどうか許してやって欲しいと何度も頼み込んだのである。
(チャールズはベンジャミンにとても好かれていたわ。だからあの時も、チャールズがそこまで言うならとお兄様も許して下さったのよねーー)
 メアリーは今は亡き兄を思い出し、懐かしさに胸が熱くなるのを覚えた。



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 朝の日差しが東の窓に差し込み始める頃、チャールズは目を覚まし横になっていたソファから身を起こした。
 夕べクリスとともに客間に入ったきり出てこないデービッドを案じ、彼はギルバートの執務室を借り一夜を明かしたのである。
 ぼんやりとした頭を両手で抱え込むようにして、チャールズは昨夜の記憶を辿り始めた。
 確かーー明け方近くまでは起きていたはず。しかし、その後の記憶は曖昧だ。おそらく気づかぬうちに睡魔に襲われ寝入ってしまったのだろう。
 彼はソファの背もたれに投げかけてあった上着を手に取り、袖を通しながら考え込んだ。
(あの後デービッドは、鍵をかけたきり部屋からは出て来なかったのかーー)
 チャールズは、もしもデービッドが部屋の外に出て来たら呼んで欲しいと言って、執務室で夜通し知らせを待っていたのであった。彼は軽い頭痛を感じて眉間にしわを寄せた。チャールズはもともと低血圧な性質で寝起きがあまりよくない。そこへきて十分な睡眠が取れていない彼は、すこぶる体調がすぐれなかった。
 まいったな、とうめくように呟き、チャールズはよろよろとソファから立ち上がった。覚束ない足取りで執務用の机のところまで歩いて行き、上に置かれた水差しのグラスに水を注ぐ。彼はグラスを持つといっきにそれを飲みほし、ふっと息をついた。
 デービッドが彼らを部屋から出した後、チャールズはギルバートに執務室で待つよう言われ、1階の客間から2階の執務室へと階段を昇って行った。ところがその途中、庭のカラスたちが俄かに騒ぎ出す声を聞きつけ、不審に思った彼は、廊下の窓からカラスたちの様子をうかがっていたのだった。
 そのため、メアリーには告げなかったが、クリス老人を担ぎこんだあの部屋に、カラスたちの大群が先を争って飛びこんでいく様を目撃していたのである。そしてこの光景を眺めていたのはチャールズだけではなかった。
 やがて執務室で待っているチャールズのもとにギルバートが戻ってきた時、彼を囲むように立っている屋敷の使用人たちに対し、ギルバートはカラスたちのことは決してメアリーには話さないようにと固く口止めをしていた。
 屋敷の主である伯爵とその子息であるロバート・マーシャルはあいにく共に屋敷を留守にしており、明日にならなければ戻っては来ない。そのため今の屋敷の主はメアリーということになるのだが、ギルバートはメアリーの体調がすぐれないことを理由に、余計な心配ごとを持ちこむまいとしたようであった。
(カラスたちを集めて、デービッドはあの部屋でいったい何をしようとしていたのだろうか?)
 チャールズは、デービッドが部屋から出てきたらその事を問いただそうと思っていたのだが、今になっても彼は部屋の外へは出て来ず、確かめようもない。だがあれだけのカラスの数だ。何かの拍子に騒ぎ出し、デービッドを傷つけるような事故がないとも限らない。そんな不安がよぎった彼は居ても立ってもいられなくなった。
(やはり、メアりーには話しておいた方がいいかも知れない!)
 チャールズはそう思い直し、執務室を出てメアリーの部屋を訪ねることにした。


 デービッドは彼のすぐ傍で目を閉じ、うつらうつらとしているイジーに小声で話しかけた。
「イジー!もう朝だよ」
 イジーはデービッドの声にすぐに目を開け、眠っているクリス老人の方を見やった。
「クリスさんは眠ったままですね。なんとか具合が悪くならずにすんだみたい!」
 デービッドも頷きながら、うんと小声で呟いた。
 気がつくと、部屋の中に身を寄せ合い群れ集っている他のカラスたちも目を覚ましたようで、いっせいに翼を広げたりくちばしで体のあちこちをつついたりして身づくろいを始めている。
「みんなのおかげだよ!イジー。あのままにしておいたら、クリスはどうなっていたか分からない。みんなが<名もなき花>にクリスの回復を願ってくれたから、きっと無事でいられたんだと思うよ」
 デービッドが感動した声でそう言うと、イジーは首を大きく振りながら答えた。
「あとは、メリルさんが早く到着してくれることを祈るだけです!」
 イジーはデービッドから離れ、窓際の机の上にとまっているつがいのカラスのもとへと飛んで行った。メリルさんが少しでも早く到着できるように、誰か道案内をたててはどうかと思いたったからである。つがいのカラスはイジーの考えに賛同し、誰が適任だろうか?と互いに首をひねった。
「メリルさんに会ったことがあって、伯爵邸への近道を知っている者ということになると……」


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