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天蓋にかけられた浅黄色の垂れ幕が、窓から差し込む陽射しに透けて、まどろむ王の青白い顔色を心もち明るく照らした。

床についてから、もう数か月が経つ。

休むことを知らなかった頑強な身体も、老いたる身となり病に侵されてからは、肉は削げ落ち、骨が浮き出て、四肢も思うように動かせぬ有様。

戦場を軍神のごとく駆け抜けた日々はいずこと、懐かしむ日々を重ねるうち、心もすっかり弱り果て・・・・・。

ユーカスは、生き恥をさらすような己の姿を顧て、大きくため息をついた。

(せめて、死ぬまでに神に許しを乞い、己の犯した罪のつぐないをしたい・・・・・・)

しかし、王として国政に混乱をきたすような行いは自重せねばならない。

まして王妃は、先王の娘・・・・・。
己の息子が王位に就くことを信じて疑わず、その行く末を案じて既に動きを見せていることにも薄々勘づいていた。

親子ほども年の離れた先王の娘を妻に娶ることになった時、罪の大きさに恐れを抱かなかったわけではない。それでも王座を前にして、いかなる大罪も厭わぬ覚悟であった。

もしも今、自分の夫が名を偽り王位に就いた者と知ったなら、王妃の屈辱はいかばかりであろう。
そのうえ、自分の息子ではなく、別な者が王に相応しいと選ばれたなら、憤怒の矛先はどこに向けられるであろうか?

王妃の憎しみが自分に向けられるのであれば、無論、罪のつぐないとして受け入れよう。
しかし、新たなる王位についての言及であったなら、受け入れることはできない。

神聖な事柄を穢す行為が、どれほど大きな代償を払うことになるかは、これまでの人生で嫌というほど味わった。
同じ罪を犯すつもりはもうない。
たとえ我が妻や息子の憎しみをかうことになろうとも、次の王は神の示される王をたてるのが余の務め。

しかし・・・、キング・ユーカスの心は暗澹とした。
死んで後、偽りの王として揶揄され、不名誉のまま民に忘れ去られることになったなら。
これまで自分が築き上げてきたものが、全て汚辱にみちたものと打ち捨てられることがあったなら。

それは、あまりにも虚しい。
己の生死をかけ、戦い守ってきたこの国への忠誠心までが、不浄なものと扱われることは耐えがたい屈辱である。

彼は迷った。
高潔な決意も、ともすれば打ち砕かれ・・・・
浅ましいとは思っても、揺れ動く心は抑えることができない。

深い闇の縁に立ち、道を探しあぐねる彷徨い人のように
王は己に問い続けていた。

と、その時ふと静寂が絶たれた。

「王様、カムル族長がおみえになっています。御身内に婚儀がまとまり謁見を申し出ておられますがー 」

侍女の声に、たちまち闇から引き戻され、キング・ユーカスは目を開けた。

「おぉ、カムルか・・・。 構わぬ、通すがよい! 」

すぐに、カムルとトワンヌが王の寝所へと通された。
大理石の床に靴音を響かせながら二人が部屋に入って行くと、王は枕を背もたれにして両手を広げ、明るい笑顔で出迎えた。

「キング・ユーカス!」

 王の顔を見るや、カムルはそう叫んで床に跪き、寝台の主君に向かい深々と頭を垂れた。

「あまりに顔を見せぬゆえ、もしや死んでしまったのではないかと思っていたぞ!」

そう言って快活な声で笑う王に、カムルも返すような大声で笑った。

「そうあっさり死ぬわけにはまいりませぬ。王がわたくしめを戦場におつかわし下されば、このカムル、老骨に鞭打っても馬を駆り、敵の首をを打ち取って見せましょう! 」

「それは、心強い。カムルが先陣をきれば、敵兵も恐れて後じさりするというもの。鬼神の異名を取るそなたの形相には、いかに勇猛な軍馬も怯えて立ち上がり、主を振り落として逃げ去るに違いないからな」

カムルは苦笑して問うた。

「王よ・・・、わたしはそれほど恐ろしい顔をしておりますか?」

頭に手を当て、情けない表情を浮かべるカムルに、ユーカスも声を和らげた。
 
「すまぬ、ちとからかい過ぎたようだ。ところで、今日は祝い事の報告があると聞いておるが、そこにおるのはそなたの娘か?」

「はい。娘のトワンヌでございます。このたび嫁に迎えたいという者がおり、王にお許しをいただきたくまかりこしました」

カムルは後に控えていたトワンヌを手招きすると、王の近くへ進み出るように言い、その足元にかしづかせた。

ユーカスは見惚れるようにトワンヌを眺めて言った。

「そうか。相手の男は幸せ者だな・・・。これほどの美人は、国中を見回してもそうはおるまい」

「トワンヌ、嫁入りを許そう。夫と幸せな家庭を築くがよいぞ」
 
 トワンヌはこの時、自分の頭に置かれた王の手の温もりを感じ、一人感激に震えていた。

威厳のある風貌、精悍さを感じさせる張りのある声、そして何よりも人を魅了してやまない、その豊かな表情。
老いや病といったものを微塵も感じさせない王の堂々たる態度に、王の権威とはかくも覇気に満ちたものなのかと、深く感じ入っていた。

(誰もが、王になりたいと願うはずだわ・・・・・)

王のもとを辞し、王宮の柱廊を父とともに歩いて行きながらも、トワンヌは新たなる王へと思いを馳せずにはいられなかった。
そうして彼女に話しかける父の声にも、つい気づかずにいたため、業を煮やしたカムルがいきなり声を上げた。

「トワンヌ! 聞いているのか? 」

びくりとして振り向いた娘に、カムルが厳しい眼差しを向ける。

「これから王妃様のもとへうかがう。王は床につかれていたため、輿には乗らずに謁見したが、王妃様の前に進み出る時は輿に乗るのがしきたりだ。王妃様がお呼びになるまで、お前は輿に乗って前庭でお待ちしていなさい。良いな」

トワンヌは静かにうなずき、庭先に立ちこちらを見ているイヨンの方へと歩いて行った。

          

「これはカムル。久しぶりですね」

シーラは、部屋の入り口で剣を胸に押し当て、深く頭を垂れる老いた戦士に向かい声をかけた。

「シーラ王妃様、このたびは娘の結婚をお許しいただき、誠にありがとうございます」
 
カムルはやや声をうわずらせ、神妙な面持ちでシーラ王妃の方へと進み出た。

「他ならぬカムル族長の御身内のことですもの。当然ですわ! 」

言葉とは裏腹に棘のある声音に、カムルの表情が曇る。




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 幾重にも石が積み上げられた城壁をぐるりと回り、北面にある通用門を目指して馬を進める。

通用門は、他の門と違い住民の往来が激しいため、日中は両開きの巨大な門扉が開かれたままになっていた。
もっとも、門の前には屈強な二人の兵が槍を手に立っていて、出入りする者の中に不審者はいないか常に見張っている。

カムルたちが門に近づいて行くと、早速一人の兵がこちらへとやって来た。

ティラフィムは城壁の内側が迷宮のようにいりくんでおり、城を囲む城砦まで辿り着くのは至難の技であった。この城砦の町が完成してから、何度となく足を運んでいるカムルたちでさえ、案内役なしに城へは容易に近づけない。

「これは・・・、カムル殿でしたか。今日は何の御用ですか? 」

馬上のカムルを見上げ、衛兵が言った。良く見ると、顔馴染みの男である。
馬車に乗せた輿を振り返り、カムルは答えた。

「わたしの娘がこのたび嫁にいくことになってな。王にお許しを乞いに出向いてきたのだ」

「それは、お祝い申し上げます! さあ、どうぞお入りください。わたしが城までご案内致しましょう」

衛兵に言われるまま、カムルたちは門をくぐり町の中へと入って行った。
ティラフィムに来るのが初めてのトワンヌは、物珍し気に辺りを見回した。
幾つもの通りが複雑に交差する町の景観は彼女の好奇心をあおったし、行き過ぎる住民たちの肌の色や顔立ちが自分とは異なっているのを見ると、興奮を抑えきれなかった。

キング・ユーカスの治世になってから、この国が他国からの移民を受け入れ、おおいに開かれた国になったことは事実である。
トワンヌは、父が戦友とも呼ぶキング・ユーカスの人となりに、ますます強い興味を抱いた。

通りを幾度も左右に折れ、緩やかな坂道を上り下りして、ようやく建物の向こうに城砦の櫓が見えてきた頃には、日はもう高く昇っていた。
イヨンは馬から下り、案内役となった衛兵に深く礼を言って見送った。そして、徒歩で従ってきた奴隷たちに、馬車から輿を下ろし担ぐようにと命じた。
王に謁見する際、花嫁となる者は必ず輿に乗って進み出ることがしきたりとされていたからである。

城門には複数の兵が並び立っていたが、カムルたちを呼び止める者は誰もいなかった。
幾多の戦乱に出向いた彼らは、マリナ族が戦いの場で毛皮をまとうことを知っていたし、武勇の誉れ高いカムルの顔を知らぬ者もいなかったからである。

カムルが城に着いたことは、その場にいた一人の兵によって王宮をとりしきるケルブ宰相のもとへと知らされた。
ユーカスが床に伏せるようになってからは、彼が王の代わりに執務の全てをこなしていたのである。

ケルブはすぐに、寝所まで足を運んでいたシーラ王妃のもとへ行き、耳元でカムルの来訪を告げた。

「カムルが来たと? そう・・・、花嫁を連れて来たというのであれば、王への謁見を許さないわけにはいきませんね」

不愉快そうにそう言って、シーラ王妃はケルブ宰相に向き直った。

「ところで、あの者は呼んであるのですか?」

王妃の鋭い眼差しに、一瞬逡巡として目を伏せながら、ケルブは答えた。

「はい。今朝こちらに参り、別室にて王妃様をお待ちしております」
 
カムルの来訪が勘に障ったのか、それでも王妃の不機嫌さは治まらなかった。

「信頼できる男なのでしょうね? 」

「ケルブ族は、亡くなられた先王、王妃様のお父上がご存命だった頃より、王直属の密使として仕えてきた部族でございます。族長のキリウスはまだ若く、先王にお仕えする機会はございませんでしたが、有能な男との評判が高い人物。必ずや王妃様のお役に立てるものと思います」

先王の名を出したことが功を奏したのだろう。王妃はようやく態度を和らげた。

「そう。では会ってみることにするわ」

安堵したケルブは、周到に辺りに目を配りながら、王妃を別室へと案内していった。




 寒暖差の激しい荒野では、昼間どれほど汗ばむ陽気になっても、夜には湿った冷気が大地を覆う。
明け方の肌寒さからか、ふと目を覚ましたカムルは、庭先で物音がするのに気づき寝床から身を起こした。

「お目覚めですか・・・? カムル族長」

いちはやく主の気配を察したのだろう。こちらに背を向け、窓を塞ぐように外で仁王立ちしている大柄の男が、低い声で呼びかけた。

「イヨンか」

マリナ族で一、二を争う剛の者であるイヨン。彼自らがカムルの身辺警護にあたることは常にはないことであった。

「昨晩、アニタが失踪致しました。恐らく、あの者のもとへ向かったものと思われます」

(やはりか・・・)カムルは胸のうちでつぶやいた。

アニタがスネル族の者ではないかと怪しむようになったのは、つい一月前のことであった。
もともと彼女は、この村を訪れた奴隷商人から買いつけた女奴隷の一人であった。その時は、他の娘たち同様、北方の寒村の生まれとばかり思っていた。

しかし、貧しい生まれにしては体は頑強で身のこなしにも隙がない。
とても、ただの村娘とは思い難かった。

そこでイヨンに命じ動きを見張らせていたのだが、ここにきてようやく尻尾をつかんだ。
アニタは度々屋敷を抜け出し、村外れでこっそり何者かと会っていたが、それがスネル族の間者であることを突き止めたのである。

王位継承争いにスネル族が一役かうであろうことは、カムルにも予測がついていた。
賢者エザックを招いた時から、スネル族が何らかの動きをみせるのでは、とも思っていた。

「そうか・・・。客人達の会話を盗み聞きし、何かをつかんだのだろう。追手はつけてあるのか? 」

「はい。ご指示通りに・・・ 」

アニタが姿を消したからには、賢者たちの間で次期王位継承者についての具体的な言及がなされたに違いない。
となれば、早晩、連中も動き出すだろう。

「よろしい。では、わしはこれから城へ参ることにする。お前も伴をせよ」

「はっ!」

王に謁見を乞う際、カムルは決まってマリナ族が戦いの場でまとう獣の毛皮を羽織って出向くのを常とした。
それがマリナ族を象徴する出で立ちでもあり、戦士として王への忠誠を示す何よりもの証ともなったからである。
身支度を整え屋敷の大広間へと入って行くと、こちらに気づいた奴隷頭のクシュイが、血相を変えて走り寄って来た。何かを言いかけようとする彼を片手を上げて制し、カムルは言った。

「アニタはもう戻らぬ! 代わりの奴隷を、また一人探しておけ」

取りつくしまもない主の言葉に、クシュイは当惑の色を浮かべた。無骨だが実直な彼は、仲間の奴隷が謎の失踪を遂げたことに、少なからず衝撃を受けたようであった。
奴隷が主に無断で姿を消せば、重罰刑に処されるのが決まりである。
ところが彼の主は、女奴隷を捜せとは命じない。咎めもせず、ただ捨て置こうとしている。そのことが、どうにも彼には釈然としない様子であった。
複雑な表情でクシュイが広間から出て行こうとしたところへ、入れ違いに妻がやって来るのを見かけ、カムルが声をかけた。

「わしはこれから城へ行って来る。王に結婚のお許しをいただかねばならぬからな。トワンヌも連れて行く。急ぎ支度をさせておけ」

トワンヌの年の離れた弟の手をひいていた彼の妻は、夫を少しの間見つめていたが、傍の女奴隷に幼い息子を連れて行かせ、自分はトワンヌを迎えに広間から出て行った。

カムルが、トワンヌを伴い城へと出発したのは、それからしばらくしてのことである。
彼は娘を二頭立ての馬車の荷台に乗せた輿に座らせ、自身は勇壮な出で立ちで愛馬の背にまたがった。
そして娘の乗る輿を護衛する馬上のイヨンのほか、御者を務めるクシュイの息子、さらに武装した数人の奴隷が徒歩でそれに従った。

屋敷のある村から、城のある町テラフィムまでは半日ほどの道のりである。
途中、砂塵の舞う荒れ果てた土地にさしかかった時であった。

輿に揺られていたトワンヌが、突然、何かを思いついたように父を振り返って言った。

「おとうさま。アニタは間者だったのですか?」

無言のまま、ずっと遠くをぼんやり眺めていた娘が、唐突にそう問いかけたことにカムルは内心面食らった。

「恐らくな。王が病にふせっておられる時だ。不穏な動きをする者もいるだろう」

「また戦乱が起きるのでしょうか・・・」

 遠い目をして、 トワンヌが続ける。

「民が望んでいなくとも、権力への欲望は人を狂わせるものだ。王位をめぐる争いは避けられぬだろうな」

「おとうさまは、二人の王子のいずれの派閥につかれるおつもりなのですか」

 幼い頃から聡明な娘ではあった。
 しかし、愛らしい娘でいてくれることを心から願うカムルは、政治の話題を掘り下げることを拒んだ。

「派閥になど興味はない。わしは王が下される決断に従うまでのこと」

「王子のご機嫌とりをはじめた者たちも多いと聞き及びます」

 娘の発言に、カムルの顔が曇る。

「これは驚いた! トワンヌは政治に興味があるようだな。だがお前はもうすぐ嫁ぐ身。今のように夫に口出しなどするものではないぞ。慎むがよい! 」

 声を荒げる父に、トワンヌはたじろいでうつむき、口をつぐんだ。

 沈んだ表情の娘を見て、カムルは内心後悔した。
 しかし、王位を狙う争い事に巻き込みたくはないという思いの方がそれを凌駕した。
 
 やがて、一行は城を囲む町ティラフィムの長大な城砦へと到着した。



「話が少し遡るのですが・・・・・・」

レギオンは穏やかな口調でそう前置きをすると、やや前かがみに声を落として続けた。

「実は十年程前、一人の星読みが私のもとへ訪ねて来たことがありました。彼は少年を伴に連れておりましたが、その少年を聖職者にしたいので、どうか力になって欲しいというのです」

エザックが眉をひそめる。

「身分違いな申し出ですね・・・・・・。聖職者になれるのは、出自のはっきりとした名家の者と決まっている」

厳しい身分制度こそが世の礎とされるこの国で、聖職者はその最高位に属する。
一方、星読みは身分としては最下級層に属しており、聖職者に就くことなど到底許されることではなかった。

「はい。私もそれは無理な相談だと断りました。けれども、星読みはなかなか諦めません。そこで訳を聞くと、少年は捨て子であったそうで、星読みが拾って育てたのだ申します。それゆえ、自分のせいで少年が不遇な人生を送るのは忍びなく、身の立つよう力添えをして欲しいのだと言うのです。さらに少年を拾った時、赤子が来ていた産着は立派なものであったらしく、くるまっていた絹のマントには金の腕輪も添えてあったというのです。それで、いずれか由緒ある家の出ではないかと申します」

「ほお・・・・・・」

「そこで添えてあったという腕輪を見てみますと、なんとアシラン語が刻まれておりました。そこに書かれていた文字はモレ。かつて栄華を誇ったナイノア帝国の王妃ゆかりの名家にございます」

 息を詰めて話を聞いていたエザックから、短いため息がもれた。
アシラン語で文字を記すことが許されていたのは、ナイノア帝国の貴族階級の者のみであったことは広くしられている。
少年がその腕輪とともに捨てられたのであれば、モレ家と深い関りがある者と考えるのは自然であろう。
そしてモレ家は、ナイノア帝国で王族にも匹敵する名家なのである。

「少年を近くに呼び寄せますと、たしかに品位を感じさせる利発な顔立ちをしております。不憫になった私は、彼らを蒼の神殿へ行かせようと思い立ちました」

「そういえば、蒼の神殿にはナイノア帝国ゆかりの神官がいるそうですね」

レギオンが肯いた。

「私は神官あてに手紙をしたため、星読みに渡しました。その後、彼らのことは忘れていたのですが、五年前、ふとしたきっかけでモレ家というのが、キング・ユーカスの出とされる家であることが分かったのです」

場に緊迫した空気が漂う。

「そして、ちょうどその頃あなたに神託が下り、ユーカスは名を偽り王となった者であることが分かりました。私は急いで蒼の神殿に使者を送りました。けれども、なぜかあの星読みと少年は神殿には行っていなかったのです」

老賢者はそう言って、かぶりを振った。
 
「私はなんとか、星読みと少年の足取りをつかもうと八方手を尽くしました。そしてようやく最近になって、居所をつかんだのです。ただ彼らは一年の大半を旅先で過ごすため、故郷に帰って来るのは年に二、三度。その時を逃せば会うことはできません」

はやる気持ちを抑えきれず、エザックが言った。

「彼らが帰って来る日をつかんだのですね」

レギオンの目が輝いた。

「はい。それが一週間後に迫っております」

うなずきながら、エザックは立ち上がった。その後姿を、レギオンが目で追う。

「レギオン様がわざわざ訪ねて来られた理由が分かりました。私にその少年を会わせたいとお考えなのですね」

そう言って、若き賢者は天幕の隅に置かれた荷物の中から地図を取り出し、それを老いたる先達の前に広げた。

「少年がモレ家の者であれば、キング・ユーカスが名を奪った者の縁者ということになります。次の王になる資格は十分にあるはず。ここは誰をおいてもまず、エザック殿に会っていただくことが肝要と思いました」

そう言いながら地図に目を通したレギオンの指先が、地図のある一点でとどまる。
そこはここより先、二日の道のりはあろうかと思われる地であった。

「もちろんです。この国の未来にかかわること。明日にでも出発することに致しましょう」

二人の賢者は顔を見合わせ、固い握手をかわした。

しかし、彼らは気づいていなかった。
国の内外において、キング・ユーカスが名を偽って王になったという秘密を知る者はごく一握りの聖職者のみ。
国の根幹を揺るがすこの事実は、決して口外してはならぬとされ、それが守られてきたにもかかわらず・・・・・
たった今彼らの会話を盗み聞いた一人の間者によって、広められることになってしまったことに。

アニタは、天幕の外で一人震えていた。
彼女は聞いてはならぬことを聞いてしまったわが身の不運を、嘆かずはいられなかった。

(でも・・・・・・、あの方にお知らせしなければならない)
それが、彼女の使命であったから。

アニタは迷いをふり切るように己の胸を激しく叩き、そして天幕に背を向けると、一人暗闇の中に走り去ったのであった。





村はずれの丘の上から、エザックは額に汗しながら働く奴隷たちの背中を眺めていた。
彼らは荷車に積まれた大きな皮袋を、掛け声とともに重そうに背負い、マリナ族の族長カムルの屋敷へと次々と運びこんでいる。
荷物の中身は食糧。
砦を通る際、奴隷頭のクシュイがそう申告したことをエザックは知っている。
しかし、食糧に紛れ込ませた多くの武器が運び込まれていることに、エザックは勘付いていた。

また、争いの火種が持ち込まれる・・・・・・。
エザックの脳裏に、戦火に焼かれ逃げ惑う、村人たちの憐れな姿が掠める。

王が大病を患っているという噂が、辺境のこの村にまで届いて数か月。
キング・ユーカスの命の灯が間もなく尽きるであろうことを、エザックは知っていた。
彼は、王の後継者として相応しい者が誰であるかを、王に進言すべき立場にある。
多くの者が、二人の王子のどちらかが王位に就くものと思っているであろう。

しかし・・・・・。
王位は神の定めしもの。
ましてや・・・・・ユーカスは名を奪いし者。
彼はその名を主(あるじ)に返し、王位を譲らねばならない。
エザックは、王宮からの使者がもうすぐこの村に到着することを予見していた。
玉座に就く者の頭上に、彼が王笏をかざす日はもう近い。

「エザック様。主が、そろそろ屋敷にお越し下さいと申しております」
背後から若い女の声がして、エザックはおもむろに振り返った。
声の主は、カムルの身の回りの世話をする女奴隷の一人、アニタである。
「宴の準備が出来ましたか」

アニタは、若き賢者の涼やかな声にうっとりとして頬を赤らめた。
聖職者にしておくには、もったいないような美貌の持ち主。
彼を崇拝する女官たちが神殿に列をなすという噂も、あながち偽りではあるまい。

「はい。花婿一行がお着きになり、祝宴の支度も整いました」
エザックは軽く肯き、フードを目深に被りなおした。
荒れた大地は至る所に岩を突き出し、岩場の隙間にこびりつく枯れ草は、うっかりすると人の足下をすくう。
しかしアニタは、そんな悪路をものともせず、慣れた足取りで坂を下って行った。
アニタはただの女奴隷ではないな・・・・・・とエザックが疑ったのは、この時が最初である。

二人がカムルの屋敷に着くと、門をくぐった中庭には立派な幕屋が張られていた。
女奴隷たちの手による色とりどりの飾りつけが、急仕立ての幕屋を花嫁の控え所らしい豪奢なものへと変えている。
幕屋の隙間から漏れる明るい光と、中から聞こえて来る女たちの楽しげな笑い声。
そこには、幸せに胸弾ませる若い娘と、それを囲む家族や隣人たちの喜びの顔があった。

エザックは聖職者として、この家に招かれた。
主のカムルは穏健派で知られる少数民族の族長で、エザックの師であるイレンカとは旧知の仲である。
このたびカムルの娘の婚儀がまとまり、カムルはイレンカに、ぜひ花嫁を祝福して欲しいと使者を送った。
しかし体調の優れないイレンカは、その役をエザックに託したのである。

若き聖職者の評判は、こんな辺境の地にもあまねく届いていた。
神託の降りし聖なる賢者ーー

イレンカの代役として、彼が花嫁の祝福に訪れると知った時、マリナ族の村人たちは驚きどよめいた。
一時はまるで、この村そのものが神の祝福を受けたかのような騒ぎにさえなった。
アニタはマリナ族の出ではない。
己の出自のせいか、彼女は村人たちの浮かれ具合をどこか冷ややかな目で見ていた。

しかし、エザックを初めて見た時、彼女は村人たちが彼を特別の存在として崇めるのも当然に思えた。
この世に、これほど清々として凛たる風貌の美青年がいようとは!
村人を嘲り、神託をも軽んじようとしていたわが身を恥じ入った。

「ようこそ! エザック様。さあ、どうぞ奥へとお入りください」
開かれた扉の向こうから、豪放磊落な人柄で知られるカムルの大声がなり響く。
穏健派の旗頭とも目されるカムルだが、彼自身は勇猛な民族マリナ族の長。
その血筋を辿れば、幾多の戦いを生き抜いた英雄たちの名があまた連なる。

「カムル族長、今日は祝いの宴。まずは家長たるあなたに祝福を申し上げます」
カムルは破顔し、奥にいた妻と子供たちとを招きよせた。
「あなたがたに、神の祝福があらんことを! 」
その場に居合わせた者すべてが、絨毯の床に伏して深々と頭を下げ、神に祈りを捧げた。
敬虔なるマリナ族ーー
勇猛なる彼らの魂が、信仰によって一つの絆に結ばれていることを、アニタは知っている。

「幕屋にて花嫁と花婿が控えております。エザック様は、どうぞそちらへ」
一同が立ち上がり、おのおの宴席につく頃合を見計らって、カムルの妻が言った。
アニタは宴席の客に酒をふるまうため、後ろ髪を引かれる思いで、彼らの後姿を見送った。

その夜。
祝福の秘儀を終え、彼のために用意された天幕に戻ったエザックのもとへ、一人の客人が訪ねてきた。
豊かな白髭をたくわえた、矍鑠(かくしゃく)たる白髪の老人。
その名をレギオンといった。

彼は以前、一度だけこの老人に会ったことがある。
それはまだ、イレンカのもとで修行していた頃の事であった。
レギオンは聖職者でありながら、神殿にての礼拝に携わることはまずない。
ただ一人荒野にあって神と対峙し、やがて「荒野の賢者」と呼ばれ、敬われるようになった人物である。
そのレギオンが突然訪ねて来たと知り、エザックは何故か胸騒ぎを覚えた。
新たな啓示を受けての来訪ではないかと、怖れを抱いたからである。

しかし老いたる賢者は、古き友を訪ねるかのような温かな眼差しを若き聖職者に注いだ。
「久しぶりですな、エザック殿。この老人を覚えておいでですかな? 」
たちまちに心をほぐされ、エザックもつい口元を緩める。
「七年振りでございます。あの頃はまだわたくしも幼く、レギオン様を海のごときお方と仰ぎ見るばかりでございました」
老賢者は目を細め、幾度もうなずきながら床に胡坐を組んだ。

「この老いぼれが来たのには、訳があってのこと。ユーカスの名を継ぐ者の消息が、どうやらつかめそうなのです・・・・・・」
「それは本当ですか!」
思わず、エザックは身を乗り出した。



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