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ーーえ、そうなの?と弘美は意外そうな声を上げ、由利恵を見返した。
 由利恵は親しい同期が相沢と同じ課にいるので、内部事情に詳しい。弘美は彼女からその情報をひきだそうと、わざと給湯室で相沢たちの噂話を聞いたことは黙っていた。案の定、由利恵は自分の聞き込んだ噂話を、さも得意そうに話し始めた。
 弘美はときおり驚いたように目を見開いてみせたり、しみじみとした声色で感嘆の声をもらしたりして、興奮気味に話す由利恵の話に聞き入る素振りを見せた。
「ーーあのおまじない、効き目なかったのかもね?」
 ひとしきり話し終えた由利恵が思い出したように言うと、弘美はそうね、と呟いて俯いた。
 二人は大通りの信号待ちをしながら、話題を変え、いつものように上司の悪口を並べたてはじめた。
 と、ふいに誰かにポンと肩を叩かれ、二人はぎくりとして後ろを振り返った。

「幸田君?!」
 弘美が、一つ下の後輩ーー幸田の顔を見て気の抜けたような声を出す。
「なんですかぁ。その声は。また二人して誰かの悪口でも言ってたんでしょう?」
 悪戯っぽい目で二人を睨みながら、幸田が言った。
 由利恵は苦笑いしながら、まただなんて人聞き悪いわね!と口を尖らせ、やにわに拳を振り上げた。
 幸田はさっと頭の上に鞄を乗せ、由利恵の拳をひらりとかわすと、青信号に変わった横断歩道に向かい一目散に駆け出して行く。由利恵は悔しそうに地団太を踏み、もうっ!と叫んだが、弘美は傍で二人の様子を楽しげに眺めていた。じっさい弘美は、とても気分がよかった。由利恵の話では相沢と芳枝の破局はほぼ間違いないだろうーーそうなれば相沢さんは自分のもの!そう思うと、彼女の心はたちまち浮き立つのだった。
 ところが由利恵が、そんな彼女の思いに水を差すように唐突にこう言った。
「ねえ、前から思ってたんだけど。幸田君て弘美に気があるんじゃないの?」
 弘美は、まさかぁ!と頭を振った。
 弘美が幸田に初めて出会ったのは、1年前のことである。
 システム課所属の彼女は、上司の命令で新人社員向けのパソコン講習を担当することになった。ところが質疑応答の時間になると、決まって質問してくる男がいる。それが幸田だった。眼鏡をかけたキツネ目の意地悪そうな奴ーーそれが幸田に対する弘美の第一印象だった。
 講習担当が初めてだった弘美は、人前に立つのに慣れていなかったため毎回異常に緊張した。
 ところがそこへ、いつも鋭い質問ばかり浴びせかけられるものだから、答えに窮した弘美がしどろもどろになったのは一度や二度ではなかった。
ーーやがて悪夢のような講習期間も終了。ほっと肩の荷をおろした弘美だったのだが、それもつかの間、新人研修を終えた幸田はなんと弘美の課へと配属されてきたのであった。
 以来彼は、何かにつけては弘美につきまとった。そんな彼を見るにつけ、由利恵に言われるまでもなく、弘美も幸田が自分に関心をもっているのでは?と考えたことがなかったわけではない。
 だが彼女の心には常に相沢の存在があり、幸田が入り込む余地などは到底なかった。
「ま、弘美の趣味じゃないよね。幸田は」
 由利恵はそう言い捨てて、組んだ両手を頭の上に突き上げ、うーんと大きく背伸びした。
「それにしても、デスクワークは肩こるよねぇ~」
 弘美はうん、と呟き、何気なく幸田の走り去って行った方向に目を向けた。


  ********


 翌日、弘美がパソコンに向かっていると、脇を通りかかった幸田がこう囁いた。
「弘美さん、相沢さんが廊下で待っていますよーー」
 やや上ずったような声に、弘美はかすかに胸がうずくような痛みを覚えたが、「相沢」という名前を耳にすると、やはり自然顔がほてっていくのを感じた。
 廊下へ出て行くと、エレベーターホールに身を隠していた相沢が姿を見せた。
 弘美は喜びいさんで彼に駆け寄ると、ほとばしるような笑顔で問いかけた。
「急に、どうしたんですか?」
 弾むような声の弘美だったが、どういうわけか相沢は、ひどく青ざめた表情で俯いていた。
 弘美が不審に思っていると、彼は力ない声で呟いた。
「ーー芳枝が、自殺を図って」
 一瞬、弘美の頭が真っ白になる。
 ーー自殺!!
「ーー今朝、病院に運ばれたらしいんだ。だけど家族は、僕の面会を拒絶していて芳枝には会わせてくれない……」
 ーー何?相沢さん、何故わたしにそんな話をするの?
 言葉にならない声が、ぐるぐると弘美の心に渦巻いていく。
「弘美さん、芳枝とは同じ短大らしいね。芳枝のご両親とも面識あるって、うちの課の女の子に聞いたんだけど。ーー僕のかわりに芳枝の様子を見に行ってもらえないかな?」
 相沢の縋るような目が弘美に注がれていた。





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